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70年代に山下達郎さんや大貫妙子さんなどが参加していた「シュガー・ベイブ」のべーシストとして活動した後、ジャン=リュック・ゴダール監督の作品の字幕翻訳を手掛けていた寺尾次郎さん(62歳)が、6日亡くなったそうです。

 

「シュガー・ベイブ」といえば、多くのミュージシャンに影響を与えた伝説のバンドとしても知られています。

 

今回は、「シュガー・ベイブ」のべーシストや字幕翻訳家として活動されていた寺尾次郎さんに注目してみました。

寺尾次郎さんのプロフィール

出典 https://casabrutus.com/

 

寺尾次郎さんは、 1952年生まれの字幕翻訳家、映画美学校講師、映画翻訳家協会会員。

 

1974年、慶應義塾大学在学中に、佐野元春さんのバンド ( バックレーン元春セクション ) に参加していたようですが、翌1975年3月に「シュガー・ベイブ」のベーシストとして加入しています。

 

寺尾次郎さんが「シュガー・ベイブ」に入ることになった経緯を探していたら、それっぽいことが載っているブログがありました。

 

・ 学生時代、レコード屋でバイトをしながらバンドをやっていた寺尾さん。 そのレコード屋のお客さんに「 赤い鳥 」 の山本さん夫妻 ( のちのハイ・ファイ・セット ) がいた。

・ 寺尾さんは山本さん夫妻と話をするようになり、山本さん夫妻から 「 今度バンドを聴かせて 」 と。

・ 寺尾さんのバンドはバックバンド的なバンドで、ボーカルがいなかった。 そこで メンバーのギターの   人が 知り合いの人を、ボーカリストとして連れてきた。 それが佐野さん。

・ 何度か練習を重ね とある日、スタジオでオーディション的なセッションが行われる。 そこへ来たのは山本さん夫妻とユーミン夫妻。

・ 結果 後日、寺尾さんとドラムの重田(真人)さんが ハイ・ファイ・セットに引き抜かれる。

・ ツインドラムをやるということで、ハイ・ファイ・セットのバックには ユカリ(上原裕)さんも加わる。   ( この時 銀次さんもギターで加わっている )

・ しばらくすると ユカリさんが、シュガー・ベイブから誘われる。 ベースは好きな人間を連れて来いと言われてるからと、寺尾さんを誘いシュガー・ベイブへ。 ( のちに 銀次さんもシュガー・ベイブへ )

引用 http://fine-day.org/20140325.html

 

1975年4月25日、シュガー・ベイブのアルバム「SONGS」がリリース

 

以後、寺尾次郎さんは1976年のシュガー・ベイブ解散まで在籍しています。

 

大学卒業後は、映画配給会社ヘラルド・エース(現アスミック・エース)に入社し、1987年に「デッドゾーン」で翻訳家デビュー。

 

寺尾次郎さんは、ジャン=リュック・ゴダールの代表作「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」などの他、「アーティスト」「ル・アーヴルの靴磨き」などさまざまな映画の翻訳を手がけられていたそうです。

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最後に

シュガー・ベイブのベーシスト、字幕翻訳家、学校講師など様々な経歴を持つ寺尾次郎さんは、才能が豊かな方だったのでしょうね。

 

寺尾次郎さんの娘さんである紗穂さんもシンガーソングライターをされているそうです。

 

寺尾次郎さんに哀悼の意を表したいと思います。

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