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9月7日の「爆報!THE フライデー」に作家の下重暁子さんが出演されます。

 

「爆報!THE フライデー」の放送内容を見ると、下重暁子さんが「孤独を恐れる日本人」を斬るそうです。

 

確かに、下重暁子さんといえば、ベストセラーとなった「家族という病」や「極上の孤独」といった本を出版されていますよね。

 

また、「爆報!THE フライデー」の放送内容に「下重が人生最大の衝撃を受けた盲目の老婆とはいったい何者なのか?」と書かれています。

 

下重暁子さんが人生最大の衝撃を受けた盲目の老婆って誰なんでしょうね。

 

今回は下重暁子さんと「下重暁子さんが人生最大の衝撃を受けた盲目の老婆」について調べてみました。

下重暁子さんのプロフィール

出典 https://medigaku.com/

 

下重暁子(しもじゅう あきこ)さんは、1936年5月29日生まれの82歳の作家・エッセイスト。

 

栃木県宇都宮市出身。

 

大阪府立大手前高校を経て、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。

 

1959年、早稲田大学卒業後にNHKにアナウンサーとして入局し、名古屋放送局や東京の放送センターに勤務し、教養、報道、音楽番組を中心に活躍されていたそうです。

 

女優の野際陽子さんは、NHKで下重暁子さんの1年先輩にあたり、名古屋放送局の寮では隣同士だったそうです。

 

野際陽子さんも下重暁子さんもお酒が強く、毎晩のように飲んでいたそうですが、仕事に影響するような事がないほど酒が強かったそう!

下重氏は、NHKアナウンサー時代に野際さんの1年後輩にあたり、1959年から1年間、名古屋の寮で隣同士の部屋だったという。「2人で毎晩のように飲んでいた。当時の寮は荒田寮といったのですが、2人は『荒田のオロチ』と呼ばれるぐらいお酒が強かった」と懐かしそうに振り返った。

それでも「仕事に影響したことは一度もありません。それは野際さんから学んだ。絶対仕事に影響させちゃいけないって」と野際さんの教えを明かした。

出典 https://www.daily.co.jp

 

下重暁子さんは1968年にNHKを退局し、フリーアナウンサーへ転身!

 

テレビ朝日系情報番組「長谷川肇モーニングショー」等でキャスターを務めた後、文筆活動に入られたようです。

 

2005年には、公益財団法人JKA(旧 日本自転車振興会)会長に就任。

 

2015年に幻冬舎から出版した「家族という病」は60万部を越すベストセラーになっています。

 

また、下重暁子さんは日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会副会長等を歴任されているそうです。

「家族という病」とは?

下重暁子さんのベストセラー「家族という病」とはどんな本なのでしょうか?

 

「家族という病」という本を読んだことがなかったので、出版元の幻冬舎の紹介文を載せておきます。

日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げればキリがない。それなのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。一方で、「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。そんな人たちを著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断

出典 幻冬舎

「極上の孤独」とは?

下重暁子さんが最近出版された「極上の孤独」!

 

こちらも読んでいないので、出版元の幻冬舎の紹介文を載せておきます。

現代では「孤独=悪」だというイメージが強く、たとえば孤独死は「憐れだ」「ああはなりたくない」と一方的に忌み嫌われる。しかし、それは少しおかしくないか。そもそも孤独でいるのは、まわりに自分を合わせるくらいなら一人でいるほうが何倍も愉しく充実しているからで、成熟した人間だけが到達できる境地でもある。「集団の中でほんとうの自分でいることは難しい」「孤独を味わえるのは選ばれし人」「孤独を知らない人に品はない」「素敵な人はみな孤独」等々、一人をこよなく愛する著者が、孤独の効用を語り尽くす。

出典 幻冬舎

下重暁子さんの夫と子供は?

下重暁子さんは36歳の時に3歳年下の男性と結婚されています。

 

でも、財布はそれぞれ別の独立採算制で生活されているそうです。

「自分のことは自分で食べさせていく」。幼い頃にそう決心し、82歳の現在まで、何度も壁にぶつかりながらもその信念を貫き続けてきた下重暁子さん。36歳のときに3歳年下の男性と結婚をしますが、その後も財布は別々の完全独立採算制で生活。仕事を続けるのはもちろん、家事もそれぞれがおこなう。夫のことを“つれあい”と呼び、「お互いに“個”の存在なのだからなかなか理解できないところもあって当たり前」という夫婦観で向き合ってきたそうです。

出典 https://mi-mollet.com/

 

また、結婚して姓が変わったことに不満があるそうです。

「私は結婚して姓が変わっていますから、戸籍上は下重暁子という人間はどこにもいないんですよ。それがとっても不快。結局それって、“個”の名前ではなくて“家”の名前ですからね。今も日本は夫婦別姓が認められていませんから、あちこちで裁判をやっていますけど、遅々として進まない。自分の名前で死ぬためには、もはやペーパー離婚もやむを得ないかもしれない、と思っているほどなのです」

出典 https://mi-mollet.com/

 

下重暁子さんと3歳年下の夫の間に子供はいないようです。

下重暁子さんの恋人は音楽家?

下重暁子さんを検索すると、「恋人 音楽家」というワードが出てきます。

 

下重暁子さんの以前の恋人が音楽家だったのでしょうか?

 

調べてみると、「羽鳥慎一モーニングショー」で下重暁子さんの著書「極上の孤独」を紹介していたようですね。

 

「極上の孤独」には、新幹線に一人で乗るときいつも昔の恋人を待っていた、一生に一度の恋だったと綴っているそうです。

 

「極上の孤独」を読んでいないので、正直よく分かりませんね。

下重暁子さんが人生最大の衝撃を受けた盲目の老婆とは?

下重暁子さんが人生最大の衝撃を受けた盲目の老婆とは、下重暁子さんの著書「鋼の女 最後の瞽女・小林ハル」の小林ハルさんのことのようです。

出典 https://www.echigo-gozeuta.com/

 

小林ハルさんは1900年に新潟県三条市で生まれ、生後100日で失明し、5歳で瞽女の親方に弟子入りし、瞽女として生きた方ですね。

 

瞽女(ごぜ)とは、門前に立って、三味線などで音曲を演奏することで、報酬を得ていた盲人の女芸人のことです。

 

小林ハルさんは、1978年に無形文化財として認定され、2002年に吉川英治文化賞を受賞するなどされましたが、2005年に105歳で亡くなられています。

 

下重暁子さん「鋼の女 最後の瞽女・小林ハル」

「思いは入れない方がいい」

感情移入をしない方がいいという意味だ。

その言葉どおり、ハルさんの唄や段物(語り物)は、抑揚やビブラートもなく、まっすぐに鼓膜をつき破る。

「葛の葉子別れ」「石童丸」「巡礼おつる」「小栗判官照手姫」……。それでいて心をゆさぶらずにはおかない。

瞽女(ごぜ)唄継承者として国の重要文化財になった長岡瞽女、小林ハルさんは今年103才。

拙著『鋼の女―最後の瞽女・小林ハル―』の取材ではじめて会った時は86才であった。

140センチ足らず、白髪を短く切りそろえたその女の前で思わず正座した。

自らに厳しく生きて来た品位と風格が滲んでいる。

懸命に唄うその声は、ハルさんの生活そのものであり、生きて来た証である。

「思いを入れない」でひたむきに唄い語る姿は、本物の芸能者に通じるものだ。

「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」

この女は時々哲学的なことばを口にする。

生後100日でそこひにかかり失明。

7才で冬の信濃川の土手に立ち、喉から血を出し、声の出なくなるまで修業。

9才から親方に連れられて旅に出る。その人生は、地を這うような厳しさの連続だ。

瞽女は、3、4人連なってまんじゅう笠に手甲脚絆わらじばきで大きな荷を背負う。

先頭が少し目の見える女。その肩に手を置いて一列に連なって旅をする。

途中、木の洞やお宮に置いていかれたり、想像を絶するいじめや意地悪にも遭う。

それでも目の見えないもの同士、一緒に歩かずにいられない。

そんな時もハルさんは、決して人のせいにしない。

自分で全て受け止めて、自分をきたえた。

打たれれば打たれるほど磨かれる鋼のような力。

暗さをつきぬけ、明るさに転化させるエネルギー。それが年を経るごとにハルさんを美しくした。

「なんとか目の見えない娘を一人立ちさせたい」という母の思いをしっかり受け止め、感動的な素直さで自分を培って来たのだ。

いい人と旅をする時は、祭りのように楽しい。意地が悪い人やいやな人と旅をする時は自分をきたえるための修業だと考える。

「人間は諦め一つ、諦めれば思うことはない」

ハルさんの実家は区長をつとめた家柄だが、戦後、体を悪くして帰った時に受けた仕打ちに、二度と家には帰らないときめる。

情や未練を断ち切り、自ら決断する。

孤独なまでの潔さが、小林ハルという内に硬い実を持つ個を育んできた。

「人の上になろうと思えばまちがい。人の下になっていようと思えばまちがえない」

いつも人の下になって、犠牲になる道を選んできた。弟子のため、養女のため、ひどい目に遭っても、それを受け止める。老境に入ってもこれでもかこれでもかと難儀はやってきた。

“胎内やすらぎの家”という養護盲老人ホームに入る頃になって、ようやくその唄と語りが日の目を見、国の重要文化財、黄綬褒章、吉川英治文化賞と認められても、ハルさんは変らない。いつも以前と同じ小林ハルがそこにいる。

ハルさんは、普通の女として生きたいと願ってきた。

瞽女という職業も、決して特殊なものではなく、他の仕事と同じなりわいなのだ。

料理も掃除も、縫い物も、普通の女以上に出来る。

身ぎれいで、着物も帯も目が見えるのではと思うほど、色や柄が調和している。

一度見てもらったら、その組合せを手ざわりで憶えているのだ。

目が見えないというハンデがありながら経済的にも精神的にも自立した女の先駆者である.

 

その唄や語りは、最近はやりの自己実現などという甘いものではなく、生きるための崖っぷちの手段なのだ。男性が思い描く瞽女へのロマンや哀愁の入りこむ余地のない見事な生活者。

私が小林ハルさんを書きたいと思ったのは、そこにある。

「瞽女と鶏は死ぬまで唄わねばなんね」老人ホームでも事あるごとに唄い、晴眼の弟子に教え、99才、白寿で新潟市の舞台で唄った。

101才、102才、年ごとに可愛くなり、寮母さんの選んだ、グレイに紅の小花もようのブラウスにビーズの紅い指輪が似合った。

103才、集英社から『鋼の女』が文庫になるのを機に訪ねると、個室は空で、入院していた。

病室で「おばあちゃん」と呼ぶと、かすかに「ハァ」と答える。

あの力強い声がもどるのを、ハルさんの三味線も私たちもみな待っている。

別れぎわハルさんのことばを私は呟いた。

「瞽女と鶏は死ぬまで唄わねばなんね」

出典 http://seidoku.shueisha.co.jp/simojyu.html

 

これを読むと、小林ハルさんが下重暁子さんに影響を与えたか分かります。

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最後に

「爆報!THE フライデー」では、多分脚色があるでしょうが、下重暁子さんが小林ハルさんについてどんな事を話されるのか期待して待ちたいと思います。

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