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過去に夏の甲子園で活躍した元球児による「甲子園レジェンド始球式」!

 

決勝戦に登場するのは、三沢高校の太田幸司さんと松山商業高校の井上明さんです。

 

やっぱり、最後はこの二人なんですね。

 

1969年の第51回大会の決勝戦で戦い、延長18回でも勝負がつかず、翌日に再試合を行った伝説の決勝戦!

 

今回は、三沢高校の太田幸司さんに注目しました。

太田幸司さんのプロフィール

出典 https://www.asahi.com/

 

太田幸司さんは1952年1月23日生まれの66歳。

 

青森県三沢市出身。

 

日本人男性と白系ロシア人女性の夫妻の養子として育った太田幸司さんは、三沢高校に入学後、1年秋からエースななり、1968年夏の甲子園大会に出場しています。

 

三沢高校は、1回戦の鎮西高校を7対0で破りますが、2回戦の海星高校に1対3で敗れ、甲子園を後にしています。

 

また、三沢高校は1969年の春の選抜大会にも出場し、浪商高校に敗れ、2回戦で敗退しています。

 

そして、3回目の甲子園となった1969年夏の第51回大会で、三沢高校は1回戦で大分商業高校を延長10回で下すと、2回戦で明星高校、準々決勝で平安高校、準決勝で玉島商業高校を撃破し、決勝戦に進出!

 

太田幸司さんは、ここまでずっと完投していたにもかかわらず、決勝戦の松山商業高校戦も延長18回を完投!

 

翌日に行われた再試合でも太田幸司さんは一人で投げ抜きましたが、試合には敗れ、悲運のエースになってしまいました!

 

太田幸司さんは、ハーフで端正な顔立ちから「コーちゃん」と呼ばれ、女性ファンから支持されていましたが、悲運のエースになったことで、元祖「甲子園球児のアイドル」として、その人気は絶大なものとなりました。

出典 https://www.jiji.com/

 

1969年ドラフト会議で、近鉄バファローズからドラフト1位で指名され入団。

 

プロ入り後は、4月のロッテ戦でリリーフ登板し、初登板初勝利を挙げますが、その後は打ち込まれることが多く、入団1年目は1勝4敗、2年目も0勝1敗、3年目も2勝1敗と大した成績を挙げることができませんでした。

 

しかし、相変わらず人気は高く、3年連続でオールスターファン投票1位に選出!

 

実力が人気に追いつかず、太田幸司さんも悩んでいたそうですが、そんな太田幸司さんに転機が訪れます。

 

プロ入り3年目のオールスター第3戦で、太田幸司さんは、あの王貞治さんと長嶋茂雄さんを抑える活躍!

 「毎年、ファン投票の時期になると嫌でね。新聞を見るのが恐怖やった。『また1位や』、『2位と差が開いとるぞ』と言いながらね。成績を残してたらいいけど、これほど屈辱的なことはないですよ。『応援してもらって、ありがたい』という気持ちの半面『応援してるのとは違うやろ』という気持ちもあった」

複雑な思いを抱きながら出ていた球宴だったが、感謝もある。3年連続でファン投票で選出された72年。その年の春、上手投げからスリークオーターに変えて、シュート、スライダーを投げ始めた。第3戦(甲子園)に先発。3回に1点を取られ、なお無死一、二塁で巨人の王貞治、長嶋茂雄を迎えた。ここで、3年目の変身の片りんを見せる。王を外角からのスライダーで遊飛、長嶋はシュートで詰まらせ、二ゴロ併殺でピンチを切り抜けた。

「自分の新しいスタイルでONを抑えて、投手人生がまたスタートを切れた。僕のプロ野球人生のターニングポイントは、そこやったですね」

出典 スポーツ報知

 

ONを抑えたことで、自信を付けた太田幸司さんはプロ入り4年目には40試合に登板し6勝14敗、5年目には二桁の10勝をマークする活躍を見せ、翌年には12勝を挙げています。

 

しかし、1980年からは勝利から遠ざかり、1983年には巨人に金銭トレードで移籍、1984年には阪神に交換トレードで移籍しましたが、1軍登板を果たすことができず、1984年シーズン終了後に現役引退。

 

プロ野球通算318試合に登板し、58勝85敗4セーブ、604奪三振、防御率4.05。

 

引退後は野球解説者やスポーツキャスターとして活躍。

 

2009年には日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーに就任し、女子プロ野球の運営・広報活動に携わっているそうです。

太田幸司さんの家族は?

太田幸司さんは44歳の時に、後援会会長の娘さんの太田勝衣さんという方と結婚し、現在は兵庫県宝塚市で暮らされているようです。

 

お子さんは、男の子が2人、女の子が1人の3人いらっしゃるそうですが、息子さんは二人とも高校野球をされています。

 

長男の太田幸樹さんは、売布小学校3年生の時に「売布ファイターズ」で野球を始め、宝塚中学校の時は「宝塚シニア」でプレーし、京都の名門・福知山成美高校では主将を務めていました。

 

その後、太田幸樹さんはびわこ成蹊スポーツ大学に進まれますが、右ひじを痛めて、トミー・ジョン手術を受けたもののプレーを断念したという情報がありますね。

 

次男の太田幸助さんは小学校6年生から野球を始め、三田松聖高校で主に投手としてプレーしています。

優勝候補の三田松聖が初戦を突破。69年夏の甲子園準優勝右腕、三沢の太田幸司氏(66)=元近鉄など=の次男・幸助投手(3年)が三塁ベースコーチ兼ムードメーカーとしてチームを盛り上げた。

出典 デイリースポーツ

 

長女の太田玲奈さんは、夙川学院中学校から夙川学院高校を卒業されてから、2012年に宝塚音楽学校に4度目の受験で合格して入学。

出典 http://www.shukugawa.ac.jp/

太田 玲奈さん(芸名 妃純 凛)が宝塚歌劇団員を目指すようになったきっかけは、夙川学院中学校3年生の時に行った遠足の「宝塚歌劇の観劇」だったそうです。当時担任だった 真野先生に相談すると、偶然、先生が送り出した卒業生に宝塚歌劇団員(芸名 花露 すみかさん)が在籍していたので、先生にコンタクトをとってもらい、直接話しを聞き、それから声楽やバレエの練習を始めたそうです。先生と一緒に花露 すみかさんの舞台を観たりして励みにしながら、高校の勉強とレッスンを両立していたようです。

出典 http://www.shukugawa.ac.jp/

 

2014年に宝塚音楽学校を卒業し、100期生として宝塚歌劇団に入団。

 

妃純凛(ひすみ りん)さんとして、2014年3月に月組公演「宝塚をどり/明日への指針/TAKARAZUKA 花詩集100!!」で初舞台。

 

2015年に月組に配属され、2015年には「1789-バスティーユの恋人たち-」、「A-EN(エイエン)ARTHUR VERSION」、「舞音-MANON-/GOLDEN JAZZ」に出演。

 

2016年には「NOBUNAGA<信長>-下天の夢-/Forever LOVE!!」、「アーサー王伝説」に出演。

 

2017年は「グランドホテル/カルーセル輪舞曲(ロンド)」、「長崎しぐれ坂/カルーセル輪舞曲(ロンド」、「All for One~ダルタニアンと太陽王~」などに出演。

 

2018年は「カンパニー -努力(レッスン)、情熱(パッション)、そして仲間たち(カンパニー)-」、「BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-」に出演。

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最後に

太田幸司さんは、そのルックスから元祖「甲子園球児のアイドル」となったため、プロ野球入団してからは苦悩の日々が続いたようですね。

 

人気があるのは決して悪いことではないですが、実力が追い付いていないと可哀そうですよね。

 

今年の甲子園でも、イケメンでカッコいい選手がいますが、人気が過熱しないことを願います。

 

今回の「レジェンド始球式」で、太田幸司さんと井上明さんのお二人の投球を楽しみたいと思います。

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