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「11PM」や「クイズダービー」、「世界まるごとHOWマッチ」など司会をされていた大橋巨泉さんが亡くなられて、2年が経ちました。

 

2005年の胃がんに始まり、2013年の中咽頭がん、2014年のリンパ腫、そして最後は肺がんと戦い、2016年7月12日、享年82歳で人生の幕を閉じられました。

 

8月24日の「徹子の部屋」に、大橋巨泉さんの妻である大橋寿々子さんが出演されます。

 

大橋寿々子さんは、今でも大橋巨泉さんの遺骨を納骨せず、夫と暮らす日々を過ごされているようです。

 

今回は、「徹子の部屋」に出演される大橋寿々子さんに注目しました。

大橋寿々子さんは元アイドル?

出典 https://mihime-dream.com/

 

大橋寿々子さんは、大橋巨泉さんと結婚される以前は、浅野寿々子さん・浅野順子さんという名前で子役・アイドルとして活動されていたようです。

 

浅野寿々子さんの時は、1957年の映画「十七才の抵抗」、1958年の映画「赤胴鈴之助 黒雲谷の雷人」、1959年の映画「薄桜記」、1960年の映画「切られ与三郎」などに出演されていて、雑誌「リボン」の表紙なども飾っていたようです。

出典 https://blogs.yahoo.co.jp/

 

また、浅野順子さん時代は、クラウンから「バラ色の朝」「きぼうの唄」「涙をかえして」などのレコードを出していたようですね。

出典 http://meg-cd.jp/

大橋巨泉さんとの出会いはラジオ!

大橋寿々子さんは、浅野順子さん時代の1968年に、後の夫となる大橋巨泉さんと、ニッポン放送のラジオ番組「巨泉のヤング作戦」のパーソナリティーとアシスタントとして出会っているそうです。

 

そして、レコード会社との契約が切れた大橋寿々子さんは、設立したばかりの大橋巨泉さんの事務所の専属となり、大橋巨泉さんの付き人として行動を共にし始めていたようですが、大橋巨泉さんが大橋寿々子さんのことを好きになり、大橋寿々子さんのご自宅に結婚の申し込みに行ったそうです。

大橋巨泉さん

「どういうわけか仕事でローマに行ったとき、アベックが肩を寄せ合って冬枯れのコロセオを見ている光景に、次は俺も女性と一緒に来るべきだ、と思ってしまった。さらに南仏のニースに足を延ばして人気(ひとけ)のない寂しい海辺にたたずんだとき、この海の水は日本へつながっている……。変にセンチメンタルになってしまった(笑)。帰国するやいなや、『俺と結婚してローマに行かない?』。で、お義母さんのところに結婚の申し込みに行った」

大橋寿々子さん

「母は、『娘は花嫁修業もしておりません。せめて1年待ってください』と言いましたでしょう」

大橋巨泉さん

「だから言ったんだ。『冗談じゃない! 僕は35歳ですよ。1年も待ったら、ほかに女ができてますよ!』。お義母さん、『まあ!』と言ったきりだった(笑)」

出典 アエラドット

 

二人が出会ってから1年半後の1969年8月に、大橋巨泉さんは35歳、大橋寿々子さんは21歳で結婚。

 

結婚当時、大橋巨泉さんは「少女誘拐」とマスコミに騒がれたようですね。

大橋巨泉さん死去の時の大橋寿々子さんのコメント

「少女誘拐」とマスコミに騒がれた大橋巨泉さんと大橋寿々子さんは、その後、子供はできませんでしたが、互いに強い絆で結ばれた夫婦として、生活を共にされてきたようです。

 

そして、大事な夫が急性呼吸不全で亡くなったことは、大橋寿々子さんにとってショック以外の何物でもなかったでしょう。

 

大橋巨泉さんが亡くなった時の大橋寿々子さんのコメントを引用します。

この度は夫・大橋巨泉の逝去に当たり何かとご配慮をいただき、誠に有り難うございました。本来は、私がインタビューをお受けするべきかとは存じますが、結婚以来47年、何処に行くのも、何をするのも一緒でという生活を重ねてきたのでいまだに心落ち着かず、皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まりお話しできなくなります。そこで失礼な事は重々承知しているのですが、このコメントをインタビューに代えさせていただきたくお願いいたします。

「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」

皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す“わがまま”と言われ、痛い事やつらい事、待つ事、自分の意に染まない事は“避けて通る”というわがままでした。

そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月の在宅介護の鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の闘病生活を勇敢に戦って来ました。特に4月からの3ヶ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました。

先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。

病状ですが、5月までは希望を持っていましたが、6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が長くなりました。それでも娘や孫達の見舞いを受けるとニッコリと笑顔を見せていました。その頃には会話をする気力もなく、頷いたり、手を強く握ったり、目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました。

そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。

たぶん、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います。
それから永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて伝えませんでした。
素晴らしい看護スタッフに恵まれて、本人ともども心から感謝をしています。

そして何度も電話や手紙で励まして下さいました多くのファンの方やご友人と、優しい大橋家の家族たちには改めてお礼を申し上げます。

最後に孫の言葉を添えさせていただきます。
「ジージ、これからはただで何処へでも飛んで行けるね!ニュージーランドでもカナダでも、でもバーバの側にもいないとだめだよ!」

2016年7月20日
大橋寿々子

出典 オリコンニュース

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最後に

大橋寿々子さんは、最近、大学の社会人講座に通い始めるなど新たな生活をスタートさせているようです。

 

「徹子の部屋」で、その話をされるようなので、放送を楽しみに待ちたいと思います。

 

 

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