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松田聖子さんの「青い珊瑚礁」やサーカスの「アメリカン・フィーリング」、杏里さんの「CAT’S EYE」などの作曲家として知られる小田裕一郎さんが、9月17日に亡くなっていたそうです。

 

松田聖子さんの「青い珊瑚礁」など曲としては憶えていますが、小田裕一郎さんについてはあまり知りません。

 

そこで、今回は小田裕一郎さんについて調べてみました。

小田裕一郎さんのプロフィール

出典 http://www.110107.com/

 

小田裕一郎(おだ ゆういちろう)さんは、1950年3月25日生まれの享年68歳。

 

鹿児島県出身。

 

小田裕一郎さんは幼少の頃からロック、ポップス、ジャズ、ブルース、ラテン、ボサノバ、クラシック音楽などの様々なジャンルの楽曲に親しみ、ギターリストとしてプロデビューしています。

 

その後、小田裕一郎さんは作曲を始め、サーカスの「アメリカン・フィーリング」が最初のヒット曲となります。

 

以後も松田聖子さんの初期のヒット曲「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」などを手掛けたことで有名となります。

ー松田聖子は、小田さんがいちから教えたんでしょ。

小田 そうそう。聖子ちゃんは、平尾正晃音楽事務所から送りこまれたんですよ。もっと早くデビューさせたいってんでね。そこで、資生堂のコマーシャルソングを歌わせたんです。最初、他のコマーシャル専門のプロの歌手に歌わせたんだけど、おもしろくないわけ。そこで聖子ちゃんに歌わしたら、けっこういけるの。すぐヒットチャートの26位までいったな。次ぎに彼女のために「青い珊瑚礁」作ったんです。

出典 https://www.yomitime.com/

 

他にも、小田裕一郎さんは杏里さんの「CAT’S EYE」、田原俊彦さんの「恋=Do!」、松原みきさんの「ニートな午後3時」などのヒット曲の作曲を手掛けていました。

 

小田裕一郎さんは作曲だけでなく、沢田研二さん、郷ひろみさん、松田聖子さん、杏里さんなどのプロデューサーをされていたようです。

 

また、小田裕一郎さんは楽曲提供やプロデューサーだけでなく、自身もアーチストとして活動していました。

 

そして、小田裕一郎さんが50歳の時にニューヨークに拠点を移し、作曲活動をされていました。

小田さんは50歳でニューヨークにきたんですよね。

小田 僕はこれまでニューヨークに100回位来ているけれど、いつまでもお客さん扱いされて、ニューヨークのミュージシャンたちと同格になりたくて99年からこっちに住む事にして、ニュージャージーにスタジオを構えたんです。
ニューヨークって、例えばインドのカレー食べに行って本物のシタールの演奏が聴けたり、ブロンクスのイタリア人の店でオペラ歌ってる、フランス料理ではシャンソンってすごいですよね。こういう本物の人との出会いって日本ではありえないですよ。
アメリカに来て9年経って音楽って50代からって思いました。シナトラなんか「When I was young」で16でウェイター、30でヤクザなんて1曲で人生のドラマ歌って、だから今は妻と手をつないで道を歩くだけで幸せを感じるって、60歳になったから歌っても真実感がにじみ出るよね。

出典 https://www.yomitime.com/

Game is Over?

小田裕一郎さんを検索すると、「Game is Over」というワードが出てきます。

 

Game is Over」って何だろうなと思ったら、1984年に発表した小田裕一郎さん名義のファースト・アルバム「ODA」の中の曲で、2017年にリマスター&高品質Blu-spec CD2仕様で復刻したもののようです。

 

他のアーチストに提供していた楽曲とは違った感じですが、中々いい曲で、小田裕一郎さんも甘い声ですね。

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最後に

小田裕一郎さんが最初に買ったレコードは村田英雄さんの「王将」のようです。

 

また、アメリカにいると、日本をよけいに意識するようになり、日本の演歌をジャズで歌うという試みをしたりしていたようですね。

 

アメリカで楽しんで作曲活動をされていたように感じます。

 

つつしんで、小田裕一郎には哀悼の意を表したいと思います。

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