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WWWF(現 WWE)で活躍した「ロシアの白熊」ことニコライ・ボルコフさんが亡くなったそうです。

 

ニコライ・ボルコフさんは日本では、ニコリ・ボルコフと表記されることが多かったため、ニコリ・ボルコフといえば分かる方も多いかも知れません。

 

ニコライ・ボルコフさんはクロアチア(旧ユーゴスラビア)出身ながら、ロシア人のヒールというギミックで登場!

 

WWWFインターナショナル・タッグ王座などを獲得し、2005年にはWWE殿堂入りを果たしています。

 

今回は「ロシアの白熊」ことニコライ・ボルコフさんに注目しました。

ニコライ・ボルコフさんのプロフィール

出典 https://ameblo.jp/canekhbk/entry-10924621983.html

 

ニコライ・ボルコフさんは1947年10月14日生まれの70歳。

 

クロアチア共和国出身。

 

身長192㎝、全盛時の体重は140㎏。

 

本名はジョセフ・ニコライ・ペルゾビッチ。

 

クロアチア(旧ユーゴスラビア)でウエイトリフティングの選手として活躍していましたが、共産主義を嫌って亡命。

 

その後、スチュ・ハートのトレーニングを受け、1968年にジョー・クロアチアン名義でデビュー。

 

WWWF地区でトニー・アンジェロに認められ、1969年にベポ・モンゴルをリングネームにジート・モンゴル(ブラックジャック・ダニエル)とモンゴル人ギミックヒールタッグチームのザ・モンゴルズを結成。

 

1970年6月15日には、ビクター・リベラ&トニー・マリノを破り、WWWFインターナショナル・タッグ王座を獲得しています。

 

1972年には、ザ・モンゴルズとして日本プロレスに初来日し、7月30日に福岡スポーツセンターで行われたUNヘビー級選手権では坂口征二選手に挑戦し、坂口征二選手を大流血させています。

 

ザ・モンゴルズ解散後は、ロシア人ギミックの「ロシアの白熊」ニコライ・ボルコフ(ニコリ・ボルコフ)として、シングルプレイヤーとして、WWWFに再登場し、フレッド・ブラッシーがマネージャーとなり、ブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦したり、フレッド・ブラッシーととともに、新日本プロレスに登場し、タッグマッチでアントニオ猪木からフォールを奪うなど活躍しました。

 

1974年後半にはボリス・ブレジニコフのリングネームでAWAに登場し、ボビー・ヒーナンをマネージャーに迎え活躍し、1975年9月13日にはジョージア・ヘビー級王座を獲得。

 

1976年にはWWWFに復帰し、ブルーノ・サンマルチノと抗争を始めています。

 

1978年には新日本に登場し、「第1回MSGシリーズ」に参戦。

 

1980年代に入り、ビル・ワットがプロモートするMSWA地区でも活躍。

 

1984年からはWWFに復帰し、フレッド・ブラッシーをマネジャーに迎え、サージェント・スローターと抗争を開始し、その後、アイアン・シークとタッグを結成。

 

出典 http://f.hatena.ne.jp/

 

1985年3月31日に行われ第1回レッスルマニアでは、アイアン・シークと組み、USエクスプレスを破り、WWF世界タッグ王座を獲得。

 

1987年夏からはボリス・ズーコフとタッグを組み、共産タッグを結成。

 

セミリタイア後は、2001年4月にWWFのレッスルマニアのギミックバトルロイヤルに出場。

 

2005年には、長年の功績に対し、WWE殿堂入り

 

2018年7月29日、脱水症状の治療で入院していたメリーランド州の病院を退院後、死去。

最後に

ニコライ・ボルコフさんはプロレスラーとしてはヒールの期間が長いレスラーでしたが、真面目でいい性格だったそうです。

 

ニコライ・ボルコフさんにつつしんで、哀悼の意を表したいと思います。

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