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今、カラコンが流行っていますが、そのカラコンのベースとなったのはソフトコントレンズですよね。

 

私も目が悪いので、ソフトコンタクレンズとメガネを併用していますが、コンタクレンズはメガネと違い、顔のイメージが変わらないので、重宝します。

 

そんな便利なコンタクトレンズなんですが、ネットを見ていたら、「ニチコン」ブランドで知られる(株)日本コンタクトレンズと子会社の(株)日本コンタクトレンズ研究所が、倒産したそうです。

 

コンタクトレンズ愛用者の私でも、「ニチコン」といわれても知りませんでした。

 

でも、日本コンタクトレンズの資本金は3億6820万円、子会社の日本コンタクトレンズ研究所も資本金4840万円と資本金の額は結構大きいですよね。

 

単に私が知らなかっただけなんでしょうね。

「ニチコン」ブランドの日本コンタクトレンズってどんな会社?

 

「ニチコン」ブランドで知られる日本コンタクトレンズは、愛知県名古屋市中川区に本社を構える会社で、福岡に支店、宮崎に工場があります。

 

日本コンタクトレンズの創業は1964年5月となっているため、歴史は50年以上の老舗コンタクトレンズメーカーということになります。

 

日本コンタクトレンズのHPを見ると、売上高は30億円、従業員数は112名となっていますが、どちらも平成21年2月現在となっており、更新されていません。

 

今年は平成30年なので、9年ほど更新が滞っていることになります。

 

HPの話はさておき、日本コンタクトレンズといえば、日本初のコンタクトレンズを作成した眼科医の水谷豊氏が創業したことで知られています。

 

でも、水谷豊って、どっかに同じ名前の俳優がいましたよね。

日本初のコンタクトレンズ誕生!

日本初のコンタクトレンズの誕生は、1951年にさかのぼります。

 

日本コンタクトレンズの創業者である水谷豊氏は、当時、名古屋大学病院で診療を担当していた眼科医でした。

 

角膜が突出してくる「円錐角膜」という眼疾患で悩んでいる高校生が、母親に連れられて、名古屋大学病院の眼科医である水谷豊氏のもとを訪れたのは1949年11月のことでした。

 

円錐角膜はメガネでは視力矯正ができない眼疾患だったため、処置方法に困った水谷豊氏でしたが、「目がよく見えないので成績が悪く、将来のことを考えると本人も神経質になっています。なんとか治りませんか」という母親の涙を流した悲痛の訴えに、水谷豊氏は眼科全書にあったガラス製コンタクトレンズの記事を思い出し、「それに似たものを自分で作ってみるから、少し待ってくれないか」と話したそうです。

 

水谷豊氏は試行錯誤の末にPMMA(アクリル樹脂)のコンタクトレンズを完成させ、円錐角膜で悩んでいた高校生に装用したところ、視力が右目0.9、左目0.4まで回復したようです。

 

このことがきっかけとなり、水谷豊氏は「世の中の目の悪い人を救いたい」と考えるようになり、日本コンタクトレンズを創業したそうです。

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日本コンタクトレンズの倒産の理由は?

日本コンタクトレンズは、「ニチコン」ブランドの製品や円錐角膜用や角膜移植後の角膜不正乱視向けハードコンタクトレンズなど他のメーカーの参入が少ない分野に特化して、売上を伸ばし、1996年2月期には約38億7000万円の売上があったそうです。

 

しかし、同業他社や海外メーカーの参入により、売上が減少していき、2016年2月期には約20億1000万円の売上に落ち込んでいます。

 

その後も、日本コンタクトレンズは資金調達のめどがたたず、2016年11月には名古屋地裁に民事再生法の適用を申請し、今年再生計画の認可を受けていたそうです。

 

しかし、スポンサー企業(株式会社匠堂?)との間で締結していたスポンサー契約に定める条件を満たすことができないことから、民事再生手続きの廃止を申請し、倒産となったようです。

最後に

日本最初のコンタクトレンズを作った会社が倒産するというのは、コンタクトを使用している者としては、ちょっとショックですよね。

 

コンタクトレンズ市場も大きいと思いますが、低価格のコンタクトレンズがネットで販売されているのも大きいと思います。

 

むずかしい時代になりましたね!

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