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TBSドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」のヒットで知られる森田童子(もりたどうじ)さんが4月24日に66歳で亡くなっていたそうです。

 

死因は明かにされていないそうです。

 

森田童子さんといえば、「高校教師」が浮かびますよね。

 

というか、他は全然知りません。

 

テレビには全く出演せず、ライブハウスを中心に活動していた方で、あまりメディアに登場しませんでした。

 

そして、人前では黒いサングラスを絶対にはずさず、素顔をさらさない歌手だったようです。

 

今回は、亡くなられた森田童子さんを振り返ってみたいと思います。

森田童子さんのプロフィール

出典 https://dot.asahi.com/

 

森田童子さんは1952年1月15日生まれの66歳。

 

東京都出身とありますが、ラジオで青森出身と聞かれて、「はい」と答えているそうなので、青森出身かも知れません。

 

小澤音楽事務所所属とウイキペディアに書かれていましたが、調べると「海底劇場」という名前が出てきました。

 

この「海底劇場」に所属していたのは、森田童子さんだけだったようです。

 

もちろん、森田童子さんという名前も本名ではありません。

 

童子は時代劇の「笛吹童子」から付けられたようです。

 

深夜のラジオから流れるサイモン&ガーファンクルの歌を聴いていた高校時代に、1972年夏に友人が捕まったことをきっかけに高校を中退していることになっていますが、高校を中退した理由は胸を患っていたからというのが正解のようです。

 

高校を中退した後、森田童子さんは転地治療という形で3年間を親戚のいる北海道で過ごしています。

 

学園闘争が吹き荒れる時代の中で、森田童子さんは北海道で、話す相手もなく、一人でずっと座って、暇を持て余している状態。

 

そんな状態の中で、彼女はギターをとって曲を作りはじめたようです。

 

その後、森田童子さんはアルバムのプロデュースを手掛けた松村慶子さんに出会います。

 

森田さんが発表したアルバムのプロデュースを手掛けた松村慶子さん(現「RUIDO」会長)は、デビューする約1年前、知人の紹介で自作曲のデモテープを持参してきた彼女は、人前で歌うつもりは、まるきりなかったという。「本人は髪形をポニーテールにして、どこにでもいる少女のような印象でした。でも作品には聴いているとイメージの扉が開かれて慰撫(いぶ)されるような唯一無二のフィーリングが合ったので、絶対に何かある、これはいけると直感しました!ただし、その独特の世界は本人が歌わないと響いてこないので、あんたが歌った方がいいと説得したんです。」

サングラスは心ならずも、みずから表現者となるための武装だった。

「私に対しても、ほとんど私語を発しない。浄化された世界を表現した作品に自分の生活感をにじませないために、余計なことは聞いてもらいたくないと思っていたようです。」

出典 朝日新聞

 

1975年10月に、シングル「さよなら ぼくの ともだち」でポリドールからデビューし、11月に絶筆となった太宰治の小説と同名の「GOOD BYEグッドバイ」でアルバムデビュー。

 

孤立無援の唄」や「男のくせに泣いてくれた」などのヒット曲を出し、ライブハウス中心の活動をしていましたが、1983年の東京・新宿ロフトでの公演後に活動を休止し、引退後は主婦として暮らしていて、一切表舞台には出てこなかったようです。

 

その後、1993年には「ぼくたちの失敗」が、TBSドラマ「高校教師」の主題歌として使われ、70万枚のセールスを記録し、ベスト盤も好調なセールスを記録したようです。

森田童子さんが素顔をさらさなかった理由は?

森田童子さんが素顔をさらさなかった理由は、極度の人見知りだったからのようです。

 

森田童子さんは、昔は対人恐怖症がひどく、親にも人見知りしていたほど!

 

でも、雑誌の取材の時には素顔で現れることが多かったようです。

 

音楽プロデューサーでミュージシャンの高橋研さんが「海底劇場」に遊びに行ったときに会った森田童子さんは女優のイザベル・アジャーニに似ていたそうです。

出典 http://suwiun3.seesaa.net/

 

また、森田童子さんは、取材の時は饒舌でイメージが違う方だったそうです。

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最後に

森田童子さんには、独特の世界観を持った暗いイメージしかありませんでしたが、調べてみるとちょっとイメージが変わりました。

 

森田童子さんには哀悼の意を表したいと思います。

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