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10月18日の「徹子の部屋」のゲストは女優・歌手の松島トモ子さん!

 

松島トモ子さんといえば、「ミネラル麦茶」のCMやライオン事件が思い出されます。

 

「徹子の部屋」では、認知症になった松島トモ子さんの97歳の母親のことなどを話されるようですね。

 

今回は、「徹子の部屋」に出演する松島トモ子さんに注目して見ました。

松島トモ子さんのプロフィール

出典 http://www.k-kikaku1996.com/

 

松島トモ子(まつしま ともこ)さんは1945年7月10日生まれの女優・歌手。

 

年齢は73歳になんですね。

 

この年齢で母親の介護は大変ですね。

 

松島トモ子さんの本名は松島泰子(ともこ)というそうです。

 

松島トモ子さんは旧満州奉天で生まれ、生後10か月の時に満州から引き揚げてきました。

 

その後、3歳の時に石井漠舞踊研究所に入り、日比谷公会堂で初舞台を踏んだ時に映像がニュースで流れ、「豆バレリーナ」と報じられたことがきっかけとなり、阪東妻三郎さんにスカウトされ、映画「獅子の罠」で映画デビュー。

 

その後、人気子役として、嵐寛寿郎さん主演の「鞍馬天狗」や「丹下左膳」「サザエさん」などの映画に名子役として出演!

 

出典 https://ja.wikipedia.org/

 

また、雑誌「少女」の表紙を10年間一人で務めたり、日本コロムビアより童謡やポピュラーなどのレコードを出し、歌手としても活動していました。

 

大東学園高校卒業後の1964年にニューヨークのザ・マスター・スクールに留学。

 

ザ・マスター・スクール卒業後、松島トモ子さんはモダンダンスの神様と呼ばれたマーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金をもらって学び、クラスの生徒にダンスを教えていたそうです。

 

しかし、松島トモ子さんの祖母から連絡が入り、一時帰国のつもりで帰国したところ、祖母が帰国してから1カ月も経たないうちに、亡くなってしまったことで、ニューヨークに帰れなくなってしまい、日本での芸能活動を再開することにしたそうです。

 

芸能活動再開後は、フジテレビ系バラエティ番組「ハイヌーンショー」の司会、「ひょっこりひょうたん島」の声優、「ミネラル麦茶」のCMなどに出演!

 

現在は、1988年に出会った「車椅子ダンス」をライフワークとしているそうです。

ライオン事件!

松島トモ子さんといえば、「ライオン事件」が有名ですよね。

 

松島トモ子さんは、1986年に「野生のエルザ」の著書で有名なジョイ・アダムソンさんの夫であるジョージ・アダムソンさんの日常を追うという、日本テレビ系ドキュメンタリー番組「TIME21」の取材で、ケニアのナイロビを訪れました。

 

ナイロビのコラ動物保護区に入った松島トモ子さんは、ジョージ・アダムソンさんにインタビューを行い、ジョージさんに誘われて、スタッフとライオンの餌付に付いていったそうですが、ここで、松島トモ子さんに悲劇が起こります。

 

子ライオンに気を取られていた松島トモ子さんは、その母親ライオンに襲われ、頭と背中、右足太腿を負傷してしまいます。

「ナイロビに着いた翌日にはコラ地区に入り、ジョージのインタビューを行いました。彼に誘われ、スタッフと共にライオンの餌付けにも付いていったんです」

この時、松島が一瞬、一人になる状況が生まれた。

「目の前にいた一番小さなライオンが可愛くて、気を取られていたら、後ろで物音がしたんです。振り向くと、大きな雌ライオンが私の方に向かってきていました。その後、頭を咥えられたまま引きずられ、ライオンの群れの方に投げ出されたようです」

彼女は頭と背中、右足太腿を負傷し、翌日、ナイロビの病院に入院した。幸い傷は浅く、全治10日の診断。とはいえ、わずか3日で退院し、取材を再開すべく、コラ地区に戻ったというから、驚くほかない。

「“まだ何も撮れていない”という思いが強かったんでしょう。今の時代じゃ、ライオンに咬まれてからも取材を続行するなんて、あり得ないと思いますけど、当時は何でもアリだった」

出典 デイリー新潮

ヒョウに襲われ瀕死の重症!

出典 https://luupy.net/

 

頭と背中、右足太腿を負傷したにもかかわらず、コラ動物保護区に戻った松島トモ子さんでしたが、悲劇はこれだけではありませんでした。

 

何と、彼女はヒョウに襲われ、第四頚椎粉砕骨折で、あと一ミリ場所がずれていたら、死亡か全身麻痺という状態だったそうです。

「ヒョウの保護区に移動しました。地区の管理を担当していたのは、ジョージの弟子筋のトニーという男性。3日ほど経った2月7日、ディナーに招待され、スタッフ8人ほどで彼のテントにお邪魔しました」

テントは居住用で、中にはベッドの他にキッチンやダイニングもあるしっかりした造りだった。

「夕食中、トニーは“トモ子、いいものをみせてあげるよ”と言い、私を外に連れ出しました。テントの外は真っ暗で、懐中電灯を手に辺りを進むと、ライオンの赤ちゃんがいたんです。それをあやして部屋に戻ったんですが、しばらくすると彼がまた“いいものを見せる”と誘ってきました。よほど2人きりになりたかったのでしょうか。仕方なく付いていくと、赤ちゃんライオンとは違う気配を感じたんです。その方向にライトを向けると、すぐ近くにヒョウがうずくまっていました。テントの周囲は高さ4メートルほどのフェンスに囲まれていたのですが、ヒョウは器用に乗り越えてきたのです。トニーはこの雌のヒョウを飼い慣らしていると自負していたらしく、私に見せたかったわけですよ。ヒョウはこちらを睨みつけながら、じりじりと近づいてきます。トニーが私の手を引っ張ろうとしたその刹那、ヒョウの眼の瞳孔がキュッと絞られました。“あっ、これはやられる”と思って逃げようとしたときにはもう遅かった。ヒョウは私の首めがけて咬みついてきたのです。首の骨が砕ける凄まじい音がし、“死んだな”と思いました。その後のことは記憶にないのですが、気が付いたらベッドに横たわっていました。首からヒューと血が噴き出していたことは覚えています。後で聞いたところ、外から叫び声が聞こえ、次の瞬間、ヒョウが私の首に咬みついたまま、体を引きずるようにしてキッチンの中に入っていったそうです。スタッフの一人は、“松島さんがヒョウを担いでテントに入ってきたのかと思いましたよ”と言っていました」

カメラマンが履いていた下駄でヒョウのお尻を叩くと、獣は退散していったらしい。しかし松島の出血は止まらず、衣服は大量の血で赤く染まったという。

「朦朧とする意識の中で、トニーが無線を使って、医者を呼んでいるのが聞こえました。ああいうところでは、医者が飛行機で飛んできて治療を施す。いわゆるフライング・ドクターです。

しかし滑走路も何もない田舎だから、夜は飛行機が飛べないと言う。私は無線マイクで“このままでは死ぬ”と必死に助けを求めました。すると相手は“分かった。その代わり、車を12台用意して、コの字型に停めて、ヘッドライトを付けてくれ。そうすれば、滑走路の代わりになるから”と応じてくれたんです。でもそこには車が3台しかなかった。“じゃあ無理だ。グッド・ラック”という言葉を最後に無線をブチッと切られてしまいました。止血の応急処置的なことはしていましたが、こんなに出血がひどくて朝まで持ちこたえられるのか、ただただ絶望的な思いでいました」

何とか一夜を乗り切った松島は翌朝、セスナでナイロビの病院に搬送された。

出典 デイリー新潮

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最後に

松島トモ子さんの父親は三井物産に勤務していた高橋健さんという方で、満州奉天で召集を受け、旧ソ連の捕虜となり、シベリアに抑留され、シベリアで亡くなったそうです

 

帰国した松島トモ子さんと母親の志奈枝さんは、以後、二人三脚で歩んできたため、親子の絆は深いそうです。

 

どんなに苦しい状況でも、松島トモ子さんを守り抜いて育ててくれた母親への感謝の気持ちがあるからこそ、松島トモ子さんは、認知症になった母親の介護を、人に任せず、行っているのでしょうね。

 

「徹子の部屋」の放送を楽しみに待ちたいと思います。

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