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日米マットで活躍したプロレスラーのマサ斎藤さんが14日に亡くなったそうです。

 

マサ斎藤さんといえば、長州力さんが結成した維新軍やアントニオ猪木さんとの「巌流島の戦い」が思い出されますね。

 

マサ斎藤さんは2000年ごろに発症したパーキンソン病の治療を受けて、リハビリに励んでいましたが、容体が急変して、午前1時5分に永眠されたそうです。

 

今回は14日に亡くなられたマサ斎藤さんについて調べてみました。

マサ斎藤さんのプロフィール

出典 http://hamamuratakuo.blog61.fc2.com/

 

マサ斎藤さんは、1942年8月7日生まれの75歳。

 

東京都中野区出身。

 

本名は斎藤昌典さん。

 

明治大学在学中の1964年に東京五輪レスリング97キロ級に出場。

 

大学卒業後の1965年に日本プロレスに入門し、翌年の1966年に日本プロレスを離脱し、東京プロレスに参加。

 

東京プロレスが1967年に崩壊した後は、渡米しフリーで活躍。

 

1972年に帰国後は日本プロレスに参加し、1974年からは新日本プロレスに参戦。

 

1978年からはヒロ・マツダや上田馬之助らと狼軍団を結成し、ヒールとして活躍しました。

 

1982年以降は長州力らと維新軍を結成し、参謀格として活躍。

 

1987年10月4日に行われたアントニオ猪木さんとの無観客マッチ「巌流島の戦い」は、2時間5分14秒の死闘で、最後は裸絞めで敗れています。

 

1990年2月に東京ドームで行われたAWA世界ヘビー級王座では、ラリー・ズビスコを破り、王座を獲得。

 

1999年2月に、スコットノートンと引退試合を行い現役生活に別れを告げています。

 

2000年ごろにパーキンソン病を発症。

パーキンソンと言っても色々なタイプがあるようで、俺のは、ちょっと変わっているそうだ。多くの場合、震えは、手や足から来ることが多いらしいが、俺の場合は、顎から始まった。そのため、国内外の病院を訪ね、多種多様の検査を受けたのだが、どこも原因はわからずじまい。2000年に最終的にパーキンソン症候群の一つと診断されたのは都内の難病専門のクリニックだった。アメリカにまで行ったりしたけど、まさに灯台下暗しですよ。

原因は、まずは脳へのダメージ。2メートル級の選手に頭から落とされ、誰とどんな試合をしたか、記憶が欠落するほどの失神を4回くらっている。他に暴飲暴食や、リングに上がり続けるために飲んだ強い鎮痛剤も関連しているとも言われたが、基本は、俗に言う“パンチドランカー”といわれる脳へのダメージが原因だと俺は思っている。残酷な職業病だよ。

出典 https://www.yomiuri.co.jp/

 

2005年以降は、佐々木健介さんが代表を務める健介オフィスのアドバイザーやプロレスの解説者を務められていたようです。

マサ斎藤さんの逮捕歴

マサ斎藤さんは、同僚のレスラーの警察官との喧嘩に巻き込まれ、逮捕された経験があります。

 

しかも、有罪判決を受け1年半、収監されたそうです。

 

ウィスコンシン州のワカシャという小さな町で、その日のうちにミネアポリスに帰る予定だったのが、次の日も試合が組まれることになり、オフィスから泊まるように連絡があったんです。それで、同じ指示を受けたケン・パテラと一緒に、ホテルにチェックインした。ふだん俺は1人部屋をとるんだけど、ケンが相部屋でどうかと言うので、1泊くらいならたまにはいいやと。それのが運の尽きだったんだな。

夜11時ごろにホテルに着いたので、食事をするところがないんですよ。バーで軽くビールを飲んでいて、バーテンダーに「どこか食事のできるところはないか?」と聞くと、近くにマクドナルドがあるという。それでケンが買いに行ったんだけど、なかなか、戻って来ない。諦めて、バーの壁にぶら下がっている定番のポテトチップスで我慢して部屋に戻ると、まもなく、ケンが「店が閉まってた」と戻って来たんだ。ところが、何か様子がおかしい。俺は、他人のことには一切干渉しないから、何も聞かずに、パンツ1枚になってベッドに入って寝ようとしたときに、ドアをノックする音がしたんです。

ドアを開けると、男と女の警官が2人いるんですよ。パンツ1枚なので、とにかくGパンを履かせてくれと部屋に戻ろうとすると、閉まるドアに、足を突っ込み、強引に押し込んできた。するとベッドで寝ていたケンが猛然と起き上がって女性の警官を抱え上げて、ホテルの廊下の壁に叩たたきつけたんです。ケンはウェートリフティングの五輪代表で、とにかく力があるんだ。俺はもうなにが起きているか、まったくわからなくて、ぽかんとしてパンツ1枚で立っていたんだ。

そうしたら男の警官が、拳銃を抜いて向けるわけですよ。とっさに「ケンが撃たれる」と思った俺は、警官にタックルをかまして、ひっくり返したんだ。すると、相手は、ナイフスティックと言う金属の棒で、殴ってきた。レスラーは、殴られると反射的に、やり返す習性がついているんですよ。さらには、一度始めたら、ますますエキサイトして止まらなくなる。俺は名前が売れていたから、乱闘中にも「ストップ、サイトー!」と何度も言われたが、ブレーキは効かない。オリンピアン出身のパワフルなプロレスラーが大暴れしているとの無線通報で、警官がどんどん詰め掛けてきてね。ホテルの廊下で殴る蹴るの大乱闘になった。最終的に15人ぐらいの警官にケンと俺の2人が取り囲まれるようになった。それでも倒れると押さえ込まれると思って、こっちもプロレスラーの意地で、仁王立ちしてたんだ。まだ、やろうと思えば出来たけど、試合後でしかも飯抜き。さすがに、戦力低下で、廊下に倒れた。ところが、筋肉モリモリのヘビー級を起こすのは、そう簡単ではない。数人かかって、十字架吊つりで起こされ、ガチャン。手錠がかけられた。

翌朝、留置所で、トイレットペーパーを枕に寝てたら、「サイトー起きろ」と言われて出頭。すると、松葉杖づえついている警官や絆創膏ばんそうこう貼っている警官がいるんで、「どうしたんだ」と聞いたら、「お前がやったんじゃないかっ!」って。

それで法廷で話を聞くと、ケンのやつがマクドナルドに行くと、すでに閉店していて、店を開けろ、開けないと店員とトラブルになり、大きな石を店のウィンドウに投げつけたというんです。原因を作ったのはケンだし、女性警官を投げ飛ばしたのもケン。それなのに、裁判では、俺もケンと一緒に現場にいたとか、俺が女性警官を投げ飛ばしたことになり、それで有罪だったんだ。

アメリカの小さな田舎町での事件だからね。日本人に対する差別を感じたね。しかも、マズイことに、投げ飛ばされた女性警官が、地元の検事の娘だったなんて悪夢そのもの。 これも、判決に影響したのだろう。当然、俺は納得ゆくはずがない。日本の領事館まで行って、助けを求めたんだ。パスポートを見せて、“日本国民を守る”と書いてあるではないかと。でも、さすがの領事館でもなすすべがなかったようだね。

出典 https://www.yomiuri.co.jp/

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最後に

マサ斎藤さんは、2020年東京五輪の聖火ランナーになることを目標にリハビリに励んでいたようです。

 

しかし、容態が悪化し、帰らぬ人となってしまいました。

 

ベビーフェイスとしてもヒールとしても記憶に残るレスラー、それがマサ斎藤さんでした。

 

つつしんで、マサ斎藤さんに哀悼の意を表したいと思います。

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