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プロ野球の世界で金田といえば、400勝を挙げた金田正一さんが有名ですが、弟の金田留広さんも100勝以上挙げた名投手です。

 

その金田留広さんが10月2日に亡くなったそうです。

 

今回は、10月2日に亡くなられた金田留広さんに注目しました。

金田留広さんのプロフィール

出典 http://www.portnet.ne.jp/

 

金田留広(かねだ とめひろ)さんは1946年11月17日生まれの享年71歳。

 

愛知県名古屋市北区出身。

 

身長180㎝、体重80㎏、右投げ右打ち。

 

金田留広さんは愛知高校卒業後、愛知学院大学に進学し、1年生で7勝4敗の成績を残しますが、なぜか中退し、日本通運に入社します。

 

日本通運で実績を残した金田留広さんは、1969年のドラフト会議で東映フライヤーズに4位で指名され入団しています。

 

金田留広さんは、直球とブレーキの利いたカーブを武器に、初年度から18勝13敗、158奪三振、防御率3.63の成績を残します。

 

プロ入り2年目となる1970年には24勝、1972年にも20勝をマークし、1972年には最多勝のタイトルを獲得しています。

 

1974年には野村収投手とのトレードで、兄である金田正一さんが監督を務めるロッテオリオンズに移籍し、その年に16勝を挙げる活躍を見せ、チームの4年ぶりのリーグ優勝、24年ぶりの日本一に多大な貢献をし、MVPと2度目の最多勝を獲得しています。

出典 スポニチ

 

1975年からは成績が下降し、1979年に金田正一さんが監督を辞任したこともあり、渡辺秀武投手とともに、広島東洋カープに交換トレードで移籍しています。

 

広島移籍後は中継ぎや敗戦処理の登板が多かった金田留広さんでしたが、ローテーションの谷間などで先発も務め、リーグ連覇に貢献しました。

 

金田留広さんはプロ野球通算、434試合に登板し、128勝109敗2セーブ、1317奪三振、防御率3.25の成績を残し、1982年に現役を引退。

 

現役引退後は、古巣のロッテ二軍コーチを務めた後に、健康食品の会社を経営するなど実業家として活動していましたが、日本身体障害者野球連盟の支援等も行っていたようです。

金田留広さんは伊良部秀輝さんにカーブを教えた?

現役時代、金田留広さんはロッテの二軍コーチを2年間務めていました。

 

その教え子には、伊良部秀輝さんがいますが、金田留広さんは伊良部秀輝さんにカーブを教えたそうです。

 

伊良部秀輝さんはロッテに入団した時、ストレートしか投げられなかったそうですが、カーブを覚えることで緩急が使えるようになるため、伊良部秀輝さんにカーブを伝授したようです。

若い頃の伊良部さんは落差の大きなカーブを投げていました。このボールを教えたのが、当時のロッテ2軍投手コーチ・金田留広さんだというのです。

合点がいきました。金田トメさんといえば、「オレはカーブだけで128勝(109敗2セーブ)した」と、ことあるごとに口にするカーブのスペシャリスト。つまり、あのブレーキの利いたカーブは師匠譲りだったのです。

では、なぜ金田さんは伊良部さんにカーブを教えたのでしょう。
「プロに入ってきた時、伊良部は真っすぐしか投げられなかった。いくらストレートが150キロを超えているといっても、速いだけならプロのバッターは1、2、3のタイミングで打ち返します。実際、イースタンリーグでさえ、相手方のバッターは“伊良部は見た目ほど速くない”と言っていました。
そこでカーブを教えたんです。カーブを覚えれば投球にメリハリがつき、ストレートがより速く見える。カーブが緩なら、ストレートは急。その極意を伝授したんです」

金田さんによれば、最初、伊良部さんはカーブの投げ方さえ知らなかったそうです。
「カーブはひねっちゃダメ。上に放り投げるようにして指の間から抜く。ああ見えて彼は器用でね、1週間でマスターしましたよ」

出典 https://gendai.ismedia.jp/

 

カーブを金田留広さんから伝授された伊良部秀輝さんは、プロ入り1年目の8月の試合で初勝利を挙げた後、試合終了後すぐに、「金田さんのおかげで初勝利をあげることができました」と電話を入れているそうです。

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最後に

金田正一さんという偉大な投手の弟として生まれた金田留広さんでしたが、プロ野球でもしっかりと足跡を残しました。

 

金田留広さんには、つつしんで哀悼の意を表したいと思います。

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