8月24日の「バース・デイ」に、「やまびこ打線」と呼ばれ、圧倒的な攻撃力で甲子園春夏制覇を達成した池田高校の江上光治さんが出演するそうです。

 

江上光治さんといえば、「阿波の金太郎」と呼ばれた水野雄仁投手(現 巨人投手コーチ)らとともに強打で鳴らした選手でしたが、プロ入りはしませんでした。

 

今回は、「バース・デイ」に出演する元池田高校の江上光治さんに注目しました。

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江上光治さんのプロフィール

江上光治(えがみ みつはる)さんは、1965年4月3日生まれ。

 

徳島県出身。

 

江上光治さんは、吉野川市立鴨島第一中学校3年の時に徳島県大会に続き、四国大会でも優勝し、全国大会に出場しています。

 

このように書くと、中学当時から江上光治さんは強打者だったように感じますが、中学当時は7番打者として出場していた普通の選手だったそう。

 

このため、どこの高校からも誘いが来ず、レギュラーになれなくてもいいからと池田高校に入学した野球エリートとは、ほど遠い選手だったそうです。

 

しかし、池田高校初日の135キロのカーブマシンの練習で、タイミングを計って打ったところ、当たったため、蔦監督から気に入ってもらい、練習試合で使ってもらえるようになったようです。

 

その後、江上光治さんは、せっかくつかんだチャンスを手放さないようにするため、キャプテンとともに夜間に素振りを繰り返すうちに、打撃が伸びていったそうです。

江上さんは、自分は水野みたいなセンスはないと思っていた。「第一印象は成功したが、第2印象以降はやばいぞ。せっかくチャンスを掴んでいるのに、このまま手放すのイヤだ、うまくなりたい」と思った。しかし、どう努力したらいいか分からなかった。

そんなとき、野球部寮の江上さんの部屋から中庭の電気が決まって点くことに気づいた。見に行くと、3年生のキャプテンが素振りを始めている、「さすがにキャプテンで4番やなあ」と思いながら4,5日が過ぎた。「あれ、俺うまくなりたいと思っているのに、グランドの練習しかしていない」。

はっと気づき、キャプテンに付いて素振りをしようと思った。池田は、フレンドリーなチームだったので、1年生の江上さんが、3年生のキャプテンに声をかけるのも抵抗がなかった。「こんなの長いうちに入らなへんよ、もっと振らんとアカンのだけどな。毎日振ることが大事やから」などと言われながら、付いて素振りを始めた。

「キャプテンが庭に出ていったら僕も庭に出ていって。キャプテンが振り終わるまでは僕も振り終わらないと決めて。30分で終るときもあれば、一時間以上やるときもあって。そこで伸びましたね、ずいぶん」。

出典 おきなわ野球大好き

 

江上光治さんは、1年夏の徳島大会からベンチ入りし、1年秋ごろから代打で使われるようになります。

 

そして、江上光治さんが1年冬の頃に、池田高校で取り組み始めたウエートトレーニングによって、2年春には驚くほど打球が飛ぶようになります。

 

当時、ウエートトレーニングという言葉すらなかった時代に、池田高校が取り組み始めたウエートトレーニングは、池田高校の打撃をビックリするくらいに力強くしていったそうです。

当時、高校野球に革命を起こしたと言われた池田野球。ウェイト等で選手のパワーを鍛えることで、初めて金属バットの優位性を世に示したと言われている。

「そのことに蔦先生が取り組み始めたのは、僕が1年生の冬なんですよ。秋の大会に負けて、春のセンバツがなくなったという状態になったときに、どうにかせにゃあかんと前から提唱を受けていた話に乗っかっていった。ウエートトレーニングって言葉もろくになかった頃ですから、単に基礎筋力アップみたいな感じですね」。

以前から蔦監督は、保健体育の先生にトレーニングの必要性を説かれていた。その先生に毎日1時間だけ時間をやるからとトレーニングを任せた。

そこから筋力トレーニングンが毎日の練習の中に取り入れられた。「やったら、春になったらびっくりするぐらい打球が飛んでいたので、これは正解やなと蔦先生もご満悦でしたね」。

出典 おきなわ野球大好き

 

江上光治さんは2年春からレフトでレギュラーを獲得!

 

そして、2年夏の県大会からは3番に抜擢され活躍!

 

2年夏の甲子園大会では、初戦の静岡高校戦で大久保学投手から3打席目に3塁打、準々決勝の早稲田実業高校戦では荒木大輔投手(元ヤクルト)から先制2ラン、決勝の広島商業高校戦でも初回の6得点のきっかけとなるヒットを放ち、池田高校の優勝に貢献!

 

翌3年春の選抜大会も、決勝で横浜商業高校を破り優勝!

 

しかし、主将として出場した3年夏の甲子園大会は、準決勝でPL学園高校に敗れています。

その幸せな高校時代で唯一の後悔がある。3年夏の準決勝でPL学園に大敗。「油断。10回戦ったら残り9回、全部勝てる相手でした」と言うが、後悔はそれではない。

期間中、ベンチ外の3年生数人が応援をボイコットし、宿舎に帰っていた。「“溝”に気づきませんでした」と江上は振り返る。

前年の優勝から大人気校となった池田。連日の取材、全国の野球部監督が来訪、観光バスまでバンバン来た。「ちやほやされましたね」というレギュラーと裏方との溝だ。「水野が気遣っていたことは知っていましたが、キャプテンの僕がそれをできなかった」

熱狂する大人に翻弄(ほんろう)されたとはいえ「なぜ、控えを尊重できなかったか」と悔いている。

出典 東京中日スポーツ

 

その後、江上光治さんは早稲田大学に進学し、4年時には主将を務め、早稲田大学卒業後は社会人野球の日本生命に入社し、都市対抗野球大会や日本選手権大会で優勝を経験!

江上光治さんの現在は?

江上光治さんは、33歳で現役を引退し、現在、日本生命保険相互会社の久留米支社に勤務し、法人職域および公務担当部長をされているようです。

 

また、江上光治さんの息子の太悟郎さんは、早稲田実業高校が夏の甲子園に出場した2015年に、早稲田実業高校の野球部マネジャーとして、甲子園に出場しています。

かつて甲子園を沸かせた男は7月26日、西東京大会決勝が行われた神宮球場の一塁側席にいた。’83年の徳島・池田高校の主将にして「やまびこ打線」と言われた強力打線の主砲。江上光治は怪物ルーキー清宮幸太郎を擁する早実が、8回に5点差を逆転し、甲子園切符を得た劇的な試合を見て、声を上ずらせた。

「実は、長男・太悟郎が早実のマネジャーをしています。ぜひ、行ってほしいと思っていた甲子園出場を決めてくれた。

私が池田高で3季連続出場を決めたとき、その瞬間はすでに全国大会での戦いに気持ちがいき、感慨はそれほどなかった。当時の私と、今の息子では、置かれている立場が違うけど、素直にうれしい。もう、夢心地です」

出典 週刊現代

最後に

現在、日本生命保険相互会社に勤務する江上光治さんですが、「バース・デイ」の放送が楽しみです。

 

往年のスラッガーが、何を語るか期待したいと思います。