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過去に夏の甲子園で活躍した元球児による「甲子園レジェンド始球式」なんですが、15日には沖縄高校の安仁屋宗八さんが始球式を行うそうです。

 

安仁屋宗八さんといえば、私は広島カープのコーチというイメージが強いのですが、甲子園に出場していたんですね。

 

今回は、15日に「甲子園レジェンド始球式」に登場する安仁屋宗八さんに注目してみました。

安仁屋宗八さんのプロフィール

 

出典 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/

 

安仁屋宗八(あにや そうはち)さんは1944年8月17日生まれの73歳。

 

沖縄県那覇市出身。

 

右投げ右打ち。

 

11人兄弟の8番目に生まれた安仁屋宗八さんは、四男と五男が野球をやっていたことがきっかけで野球を始め、沖縄高校でエースになり、1962年に南九州大会で沖縄代表として宮崎代表の宮崎大淀高校に勝利し、沖縄県の高校としては初の甲子園出場を果たしています。

 

しかし、甲子園初戦で強豪の広陵高校と対戦し、4対6で敗れ、初戦敗退しています。

 

高校卒業後は、地元の琉球煙草に入りますが、入社1年目の夏に大分鉄道管理局の補強選手として都市対抗野球に出場し、初戦の日本生命戦でリリーフ登板し、3イニング投げて無失点で、相手のバットをシュートで4本くらい折ったそうです。

 

この活躍がプロ野球スカウトの注目を引き、安仁屋宗八さんは1964年に広島カープへ入団しています。

 

沖縄県出身者初のプロ野球選手となった安仁屋宗八さんは、2度目の先発となった巨人戦で9回1失点で初完投・初勝利を挙げましたが、当日はラジオで生中継され、那覇市内の電器店の前には黒山の人だかりができたそうです。

 

サイドスローから右バッターの懐をえぐるシュートが武器の安仁屋宗八さんは2年目から先発に定着し、根本陸夫さんが新監督に就任した1968年には23勝11敗の好成績を挙げ、チームのAクラス入りに貢献しました。

 

しかし、20勝以上をマークしたのは、この年だけで1969年と1970年は10勝、1971年には何と2勝しかできませんでした。

――入団五年目の1968年に23勝(11敗)を記録します。伝家の宝刀のシュートが冴え渡りました。ところが70年は10勝(14敗)、71年は2勝(2敗)と下降線を描きます。何があったんでしょう?

安仁屋 実は痛風にかかってしまったんです。肉ばかり食べていたから、食事に偏りがあったんでしょうねぇ。それと酒。ちょっと飲み過ぎでしたね、アッハッハ。

出典 https://gendai.ismedia.jp/

 

1974年に、オープン戦で後に監督となるルーツコーチと投球フォームの変更で衝突し、オフに若生智男さんとのトレードで阪神タイガースに移籍しています。

――のちに監督になるジョー・ルーツがカープのコーチに就任するのが1974年です。このルーツに安仁屋さんは「ピッチングフォームを変えろ」と言われたそうですね。

安仁屋 キャンプ中に言われるのなら、まだいいですよ。僕が「スリークォーターからアンダースローに変えろ」と言われたのはオープン戦の時。しかもシーズンが始まる、わずか1週間前ですよ。

――いくら何でも、それは急過ぎますね。

安仁屋 だから僕は通訳を通して「ワシはやらん」とはっきり言いました。「じゃあ使わんぞ」と。こうなると売り言葉に買い言葉ですよ。この時の監督は森永勝也さん。「ルーツは監督じゃないんじゃけん」と言いましたよ。なかなか使ってもらえませんでしたね。しかし、なぜかルーツは力を持っていた。

――74年のシーズン、安仁屋さんは4勝4敗二セーブ、防御率3・96という成績に終わりました。防御率はこれまででワーストでした。そして翌75年、ルーツは監督に昇格します。

安仁屋 そりゃトレードに出されるでしょうねぇ。言うこと聞かんのやから。結局、阪神の若生智男さんとの間でトレードがまとまった。でも、実際のところ、僕は阪神に行く気はなかった。もう広島で野球はやめる気やったんです。

ところが広島でお世話になっている人に、「オマエ、1年くらい遊んでこいや」と言われた。「じゃあ、そうします」と。吉田義男さん(当時の阪神監督)は、僕がきてくれることを随分、喜んでくれたみたいです。

出典 https://gendai.ismedia.jp/

 

阪神タイガースに移籍した1975年には12勝5敗7セーブ、防御率1・91で最優秀防御率とカムバック賞のタイトルを獲得していますが、広島カープを見返してやろうとオフに生まれて初めてトレーニングジムに通ったそうです。

 

1979年オフには金銭トレードで広島カープに復帰しますが、復帰後は飲み過ぎによる十二指腸潰瘍を発症したことで、登板機会がほとんど与えられず、1981年に引退。

 

通算18年で655試合に登板し、119勝124敗22セーブ、1432奪三振、防御率3.08の成績を残しました。

 

現役引退後は広島カープの投手コーチに就任し、1997年まで1・2軍の投手コーチ・2軍監督を務め、津田恒実投手や川口和久投手らを育てています。

 

1998年からは中国放送解説者・デイリースポーツ評論家を7年間務め、2005年に広島カープのコーチに復帰し、投手全員に先発としての調整を命じ、2500球もの投げ込みを行わせ投手陣再建を図りました。

 

しかし、黒田博樹投手と大竹寛投手は最高の成績を残すものの、怪我人が続出したため、その責任をとり退団。

 

2006年からはRCC解説者・デイリースポーツ評論家として活動されているようです。

出典 https://www.news-postseven.com/

安仁屋宗八さんとルーキーズ

安仁屋宗八さんを検索するとルーキーズというキーワードが検索されます。

 

ルーキーズといえば、ドラマや映画のルーキーズですよね。

 

市原隼人さんが演じたルーキーズの安仁屋恵壹は、安仁屋宗八さんの苗字からとったそうです。

 

そして、恵壹は藪恵壹からのようですよ!

出典 https://matome.naver.jp/

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最後に

安仁屋宗八さんはもう73歳なんですが、その年齢でレジェンド始球式に登場するなんてスゴイですよね。

 

案外、ストライクを投げそうなところが逆に怖いですね。

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